意味を知るとゾッとする…悲しい秘密が隠された世界の民謡たち

みんな知っているあの民謡・童謡に隠された悲しい秘密をまとめました。

 

ドナドナ(中東欧ユダヤ文化の歌)

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『子牛』ではなく、捕えられ収容所に連れて行かれる『ユダヤ人』であると考えられています。

「ドナドナ」はワルシャワの詩人イツハク・カツェネルソンが作詞者で、彼の妻と二人の息子が1942年に収容所へ連れられた時の印象に基づいて書かれた歌

ドナドナって言葉は牛を追う時の掛け声と『アドナイ アドナイ(神よ神よ)』を引っ掛けてるらしい。

原曲は「ドナ」ではなく「ダナ」であるため、この説を否定する人もいます。真偽は不明。

大きな栗の木の下で(イギリス民謡)

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この曲が伝わったのは戦争の真っ只中…もっと残酷で…悲しい意味の歌詞だったといわれています

一番の歌詞は2人の子供(片方は空襲などにより死んでいる)が栗の木(焼け落ちた家屋)の傍で、死んでしまった片割れの子供の手を取っている様が遊んでいるように見えたことからこの歌詞になった

またこの曲は第二次世界大戦後GHQの管理下にあった日本でアメリカ軍人が歌っていたことがきっかけで、日本でも知られる様になったとか。戦争と縁のある曲なんですね。

森のくまさん(アメリカ童謡)

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相手の女性を欲しながら自分はそれに値しないという屈折した自意識のあり方が「森の熊さん」の歌詞には託されているのである。

「自分は自分が欲する相手の女性に愛されるに値しない、むしろ傷つけてしまう存在である、それゆえに自分は自分が欲する相手の女性に近づくことができない」

熊さんのナンパの歌という説がある。熊さんは、お逃げなさいと言うわりには、お嬢さんを追いかけてゆく。

そう言われるとそう聴こえる気も…

聖者の行進(黒人霊歌)

この歌がもともとはお葬式(の帰り)の歌だから・・というのは有名な話。

アメリカの曲名「When the Saints Go Marching In 」。Saintは聖者という意味の他に死者という意味もあります。

ニューオーリンズでは、埋葬に行くときには静かな調子で、埋葬の時は悲しげに。埋葬が終わると、この曲でパレードをして帰っていく。

お葬式になのに、こんなに華やかな曲という部分には、ニューオリンズの黒人奴隷の歴史を考えてみる必要がありますね。黒人たちにとって、つらく苦しい現世からの解放という意味があったのですね。

しゃぼん玉(日本の童謡)

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作詞者の子供が死んだという説。しゃぼん玉が「魂」という説。

作詞したのは野口雨情。 彼は30過ぎてから結婚したのだけれども、なかなか子宝に恵まれなかった。 やっと授かったと思った子どもも流産してしまった。

ロンドンデリーの歌( ダニーボーイ ) (アイルランド民謡)

戦争に赴く息子を思う親の気持ちを切なく歌い上げる曲として有名

去ってしまったわが子を思う母親(父親説もある)の気持ちを歌ったうた

「花々がみな枯れ落ちるとき もしお前が戻って来ても 私はもう この世にいないかもしれない…」(歌詞の日本語訳)

老いていく父母の悲しい気持ちが込められています。美しい旋律が余計に悲しみを誘います。

ぞうさん(日本の童謡)

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母象と子象の仲むつまじい様子を表した歌ではなく、本当は子象が他の動物たちに、「お鼻が長いのね」と、バカにされている場面なのだそうです。

ぞうさんは、他とは異なる、彼の身体的特徴を指摘される(鼻が長い)。そして、二行目で、それが遺伝的なものであること、象たるものであると宣言する。そして、第二節で、そんな母が大好きだと、それを強化する。

「前向きな歌」と捉える人もいますが、「差別の残酷さを知らない無邪気な子供についての歌」とも考えられています。

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