かつては日本の化学兵器製造拠点として毒ガスの製造が行われ、地図からその存在を消された過去を持つ広島県の大久野島。今では700羽ともいわれる野生のうさぎで賑わいを見せています。
■うさぎの楽園「大久野島」を知っていますか?
大久野島は、広島県竹原市忠海町の沖合い3kmの瀬戸内海に浮かぶ、周囲4.3kmの小さな島
小一時間歩けばぐるっと一周できる小さな島に、ウサギが500匹放し飼いにされている
多くのウサギが生息することから「ウサギ島」とも呼ばれています
■島には人懐っこいうさぎが溢れている
腰を下ろすと、膝に前足を掛けて鼻をひくひくと動かすなど、愛らしい様子を見せてくれます
エサを持っていれば、うさぎの方からダッシュで駆け寄ってきてくれます
奈良の鹿のように、えさをもっていればたちまちウサギからの人気者になれます
■自動車すら走らない、うさぎたちの楽園
島内は許可車以外の自動車やオートバイでの走行が禁止されています
船着場から国民休暇村までのバスが往復しているのが、島で見られる唯一の自動車です
■このうさぎで賑わう島には、実はとても暗い過去がある
1929年から終戦まで、ひそかに毒ガス兵器を製造していたという、暗い歴史もある場所
毒ガス島、それがこの島の別称だ
かつてこの島は第一次世界大戦以降の化学兵器製造拠点でもありました
毒ガス製造は機密厳守が不可欠
戦時中、陸軍によって化学兵器の生産拠点として利用され、敗戦まで機密保持のためその存在は地図から消されていました
戦後も化学戦の実態は慎重に秘匿されていたため、日本軍が毒ガスを製造していたということは、1984年に報道がなされるまで、ほとんど知られていませんでした
生産された毒ガスの総量は6,616トンといわれ、終戦後は大久野島に残った毒ガスは合計3,270トンで、それらは、海洋投棄、焼却処分、地中処分と言った方法で処分された
島の土壌から高濃度のヒ素が見つかるなど、いまだに島の隅々では安全が保証されていません
毒物が残っている危険性があったり、建物が崩壊の危機にあるという理由で、環境省によりほとんどが立入禁止とされています
こうした暗い歴史を風化させないよう地元住民の願いにより、1988年には大久野島毒ガス資料館が開館されました
当時の歴史を今に伝える資料が、資料館に多く展示されています
出典うさぎファンの楽園!大久野島に行ってみよう! | トラベルノート
■「うさぎ」と「毒ガス」の関係にはこんな噂も
なぜウサギがいるかというと、毒ガス工場時代に動物実験用にウサギを使っていて、その生き残りが繁殖して野生化している
終戦後放棄された施設とともにそのまま放置され、温暖な気候と天敵がいないという好条件によって繁殖した
実験に使われていたウサギは安楽死させられたので、現在のウサギとは無関係との説もあり、実際のところは不明
もともとは小学校で買っていたうさぎを放したものがルーツ
1971年に地元の小学校でかわれていた8匹のうさぎがはなたれて、今日にいたった
■現在では「うさぎの聖地」として多くの観光客が訪れている
大久野島のりんごサイズの子うさぎさんの写真を撮るためにリンゴを置いたら、美味しそうに短い手と口で食べられてしまった。可愛いから許す。 pic.twitter.com/kVO6NqqtXC yamachan49″
現在は年間約10万人の観光客が訪れる「ウサギの楽園」として知られ、一部のウサギ好きの聖地ともなっている
■大久野島へのアクセス方法
大久野島へ行くには、広島県側の忠海港か愛媛県側の今治市にある盛漁港からフェリーに乗る必要がある
広島県側の忠海港から出ている船の方が本数も多いので大抵の場合はこちらから大久野島へ向かえばOK
■うさぎだけでなく、歴史的背景もぜひ学んでみて下さい
大久野島はうさぎだらけですが、それだけでなく、戦時中のとても大きな負の歴史が残る場所でもあり(本当はこっちが目当て)。色々と考える訳ですが、個人的には、それも含めていい旅先のチョイスだったと思う。 pic.twitter.com/Fn0v689gLQ
大久野島の廃墟群。 戦時中、秘密の毒ガス工場として稼働していた歴史を持ち、日本地図から消された島。資料館とか見たけれど、割と壮絶だった。 instagram.com/p/0zjsmbodjV/
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